射撃

松田知幸はライフル射撃ピストルで被災地へリオ五輪メダルを捧げる!

リオ五輪でのメダルは被災地に送りたいと願うライフル射撃男子ピストルの松田知幸選手

2011年3月11日の東日本大震災の発生時に宮城県石巻市に滞在していた松田知幸(まつだともゆき)選手は、2008年の北京から始まり、ロンドン、そしてリオデジャネイロ五輪と3大会連続でライフル射撃男子ピストルの日本代表として出場を果たします。

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1975年12月12日神奈川県横浜生まれで、現在40歳。ピストル射撃選手でありながら、神奈川県警警務部教養科に勤務されています。

落ちこぼれだった?

松田選手のお父さんは警察官でした。そんなお父さんを小さい時から見てきたので、高校3年生の時に自分も警察官になるという決意をしました。

警察学校に入りそこでの研修で、射撃テストというものがありました。そこでピストル射撃と出会い、今に至っています。

そのときのテストの成績はよく特別訓練生に選ばれましたが、現場での仕事がしたいと思っていたため、特別訓練生の中では落ちこぼれだったと当時を振りかえり述べています。

被災地に捧げたい金メダル!

震災が発生時、全日本選手権のため石巻市の試合会場にいました。

この時、公式練習をしていた松田選手は強い揺れに襲われて、慌てて会場の外へ出ました。

会場が高台にあったので命は助かりましたが、ピストルの標的は倒れ、津波も近くまで押し寄せてきたそうです。

その晩は近隣の老人ホームで一晩あかし、翌朝は帰るために車で出発した松田選手。その後テレビで被災地の様子を見たときに恐怖に襲われたと語っています。

その同じ月、3月下旬にはワールドカップ(W杯)シドニー大会が控えていました。

神奈川県警で働く松田選手の部署からも多くの警察官が救援活動に被災地へ派遣されており、ワ-ルドカップへの出場は無理だとも考えたそうです。

しかし上司の、競技で結果を出すことができるのはお前だけだ!という一言に押され、その大会へ出場し、50メートルピストルとエアピストルで好成績をおさめました。

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松田選手は、今でもそこで暮らす被災者のことも考え、競技者として明るいニュースを届けたいという想い、願いを持ち日々練習に励んでおられます。

2012年ロンドン五輪では残念ながら決勝に進むことができなかったことをバネに、リオデジャネイロ五輪での活躍を期待しています。

今年8月5日開幕翌日の第2日目である6日にエアピストル競技の決勝があります。ロンドン五輪から4年。

競技への技術や経験が増し加わったのに加え、精神力の面でも向上した松田選手。金メダル獲得、そして被災地にそれを捧げてほしいですね。